嫌な事があっても絶対人に出さない=徳を積む

今から約2500年前にブッダは悩みなどの煩悩を無くそうとして、命を落とすギリギリのほどの凄まじい苦行をしました。

何年間も激しい苦行を続けましたがそれでも結局、悩みは無くならなかったのです。

ブッダ「いくら苦行をしてもムダである、人間の悩みは無くならない」

最後にブッダは言いました。そうして苦行をやめました。

人類史上最高の頭脳と精神を持つブッダでさえ、悩みを無くすことはできませんでした。

 

生きること=悩み

要するに人間は悩みを無くすことはできないのです。悩みを無くすということがそもそもおかしいのです。

生きることそのものが悩みなのだから当然、生きている限り悩みはなくならないのです。

もともと仏教はブッダが始めましたが、今の日本の仏教はいろいろな人が改竄しすぎて複雑になりほとんど原型をとどめていません。もともとブッダは超当たり前の事しか言ってないのです。真理はシンプルなのです。複雑なものは偽物です。

 

悩みがあってもいい、人に出さない

寺院などにある仏像は全く悩みの無いような素晴らしいお顔をしています。でも実は仏様も悩みが全く無いわけではありません。仏様も悩みはあるが、絶対に顔に出さないのです。苦しそうなお顔をした仏様を見たことはないでしょう。

そうです、悩みは無くならなくてもいいのです。

でもどんなに嫌な事があっても、それを絶対に顔に出したり口にしたり他人に出してはいけない、仏様はそう教えてくれているのです。

何か嫌な事があったら人に怒りをぶつければスッキリするし、出さないとストレスがたまってしまうという人もいます。出さずにストレスがたまると早死してしまうという人もいます。

ですがそういう人はさっさと逝ってください。周りにネガティブな感情を撒き散らして長生きしている人ほど迷惑なものはありません。

ブッダも悩みをなくことはできませんでしたが、それを人に出すことは絶対にしませんでした。それゆえにあれほど偉大と言われているのです。

ある時ブッダの元へ喧嘩をふっかけにきた人がいました。大声で口汚くブッダを罵りました。でもブッダは全く怒り返すこともなくその男に向かって静かにこのように言いました。

ブッダ「ある人が食事を出してくれた。でも私はそれを受け取らなければどうする?」

男「その人は食事を持って帰るでしょう。」

ブッダ「そうだ。私は受け取らない。持って帰りなさい」

 

孔雀明王の修行

孔雀は蠍、毒ヘビなど猛毒の物も食べてしまいます。でも一切毒に当たることはなく鳥の中で最も美しい姿をしています。

孔雀はどんなに嫌なものを受け入れても自分の中でそれを処理して、絶対に外に出さないのです。それゆえに孔雀明王と言われています。

 

私達もどんなに嫌なことがあっても、絶対に人に出してはいけないのです。

私達は孔雀明王の修行をしているのです。

会社で嫌な事があっても、家に帰って妻に不機嫌な顔や言葉を出しては絶対にダメです。

妻にあなたは何も苦労がなくていいわねえと言われればあなたの勝ちです。苦労に心が負けていないからです。嫌な顔や言葉を出してしまうのは心が苦労に負けてしまったのです。

何があっても絶対人に不機嫌な顔を出したり、愚痴を言ったりしない、これが徳を積むということです。

孔雀はそうして明王にまでなり崇められるようになり、ブッダも史上最高の聖人になりました。

 

絶対に人に出さない、そうすれば奇跡が起こる

私達も徳を積む修行、どんなに嫌な事があっても顔に出したり口にしたり、絶対に人に出さない、そう強く決意して実践して生きていけば、素晴らしい奇跡が必ず起こります。

私ももちろんまだまだ未熟です。まだ時には嫌な顔や愚痴を周りの人に出してしまうこともあります。でも以前よりは人に出してしまうことは少なくなってきています。

「何があっても絶対人に出さない、そうすれば奇跡が起こる」

と毎日毎日自分に言い聞かせるようにしてから、明らかに自分の世界が良い方向へ変わり始めているのを実感しています。

皆さんもぜひ試してみてください。試すというよりは必ず強い覚悟で実践してほしいです。必ず驚くような効果があります!

 

人生で1番大事な「積極的な心の態度」

 

 

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他人は鏡

他人と接する時、私はいつも心の中で念じるようにしていることがあります。

それは「他人は鏡」です。

中国で中国法人を設立したばかりの頃、当初働いてもらっていた中国人社員約20人全員と次々と喧嘩別れをするという苦しい経験(相手の社員達も苦しかったでしょう。申し訳ない。。。)をしてから、「他人は鏡」なんだと気が付くようになりました。

目の前にいる相手の人は鏡だから自分が不機嫌な表情で冷たい態度をとれば、相手も不機嫌な表情で冷たい態度をするようになるし、反対にこちらが笑顔で思いやりのある態度で接すれば相手も笑顔で思いやりを返してくれる、

それ以降、私はいつもこのように心がけて「他人は鏡、他人は鏡」と念じながら相手の人と接するようにしています。

基本的に私は人と接するのが非常に苦手です。人間が嫌いなわけではありません。人間は好きです。ですが人と接するのがとても怖くて、それゆえとても面倒なのです。

特に初対面の人と話をしなければならないとなると呼吸が苦しくなる、会食でもしようものなら会話に気を使うので食べ物の味はほとんどわからない、そのくらい苦手なのです。
でも生きていく以上、人と接しないわけにはいきませんし、仕事では人間関係が全てですから仕方ありません。

きっと気を使いすぎてしまうので、苦手意識が生じるのだと思います。こちらが緊張すれば相手も緊張してしまうから、もう少し自然体で気軽に人と接すればいいと頭ではわかっているのですがなかなかうまくできないものです。

だからこそいつも人と接するときは、相手を尊重することを忘れないように、そして緊張しすぎないためにも、心の中で「人は鏡、人は鏡」と念じる用にしています。
もしあなたが、自分さえよければいい、思いやりがない、相手を尊重しない、相手に感謝しない、相手を見下す、そういう態度でいるとどうなるでしょうか。

「人は鏡」です。全て自分に返ってきます。
思いやりがなく、自分だけ、相手を尊重しない、相手を見下す、そういう人に囲まれて生きる人生になるでしょう。私は考えただけでもぞっとします。まるで地獄のようです。それも全てはあなた態度のせいなのです。

反対にあなたが、相手を思いやる、相手を尊重する、相手に感謝する、相手を見下さない、誠実、そういう態度でいると、それも全て自分に返ってきます。
思いやりがあり、相手を尊重し、感謝する、誠実、そういう人に囲まれて生きることができればそれは素晴らしいことではないでしょうか。

地獄のような世界で生きるか、天国のような素晴らしい世界で生きるか、全ては自分の態度次第なのです。

天国の箸(はし)、地獄の箸

 

これは相手を自分の思い通りにコントロールしようとかそういう複雑なテクニックのことを言っているのではありません。そもそも他人というのは思い通りにはなりません。人間は他人というものをありのままでは認識できず必ず自分の脳のフィルターという妄想で認識しますから、正しくコントロールもできないのです。

他人は思い通りにならなくて当たり前

 

人間は目から入った光を脳内で変換して処理しています。外界の全てを自分の脳のフィルターを通して見ています。他人というものも同じで、自分の脳のフィルターを通してしか見ることはできません。

すなわち他人というのは自分の脳内にしかない、自分の脳内で形成される神経ネットワークであり、さらに言えば自分という自我も脳が生み出す妄想であり、本当は自分と他人の区別というものは存在せず、自分と他人というのはコインの裏表のような実は一つのものなのです。

「自分」という思い込み

 

ようするに脳が生み出す自我とか他人という妄想に惑わされて地獄のような世界(自分さえよければいい、思いやりがない、相手を尊重しない、相手に感謝しない、相手を見下す)を自分の脳内に構築するか、

それとも自分の脳の中に天国のような素晴らしい世界(相手を思いやる、相手を尊重する、相手に感謝する、相手を見下さない、誠実)を構築するか、それは全て自分の態度次第ですよというとてもシンプルなことなのです。

 

 

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