2022/5/6【今日の広州アパレル卸市場】Guangzhou clothes wholesale markets【他人を苦しめない】

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↑こちらは今日の沙河金馬のyoutube動画です。

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だんだんと卸市場へやってくる広州市近郊の中国国内バイヤーさん達が増えて活気が戻りつつある感じです。しかしまたいつ急に封鎖になるかはわかりません。急に封鎖になると帰宅できなくなってしまうので怖くて広州市以外の遠方から来る人はまだまだ少ないようです。外国からも来れるようになるのはまだ数年はかかりそうです。

 

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他人を軽んじない、他人を苦しめない

「接する全ての人を大事にしよう」、「人との繋がりを大切にしなければならない」、ビジネスの基本は「人」である、というのは昔から良く言われていることです。ビジネスだけではなくて人生全般においてもとても重要な事です。人生の成功法則と言っても過言ではありません。

ですが理屈ではわかっているつもりでもなかなか実践できていないと感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私自身もまだまだしっかり実践できているとはいえません。

日本人同士の場合はもちろんですが中国人やその他の外国人に対してもそうです。中国の工場やレストランの店員、ホテルマン、中国人社員、中国の取引先、中国輸入代行業者などがミスをした場合にも一方的に相手を見下す様な態度を取ればどうなるでしょうか。相手は次からもっと頑張ろうと思うでしょうか。きっとそんなことはなくむしろ対応は悪化するでしょう。他人は自分の鏡です。鏡に石を投げれば跳ね返って自分に当たります。結局損をするのは自分です。なにより一日中もやもやしてしまいます。反対に相手がミスをした場合にも問題点ははっきり指摘し、そして相手を見下すのではなくあくまで相手を尊重する態度で接すればきっと次からは対応はもっと良くなるでしょう。

先日、私が中国のホテルに宿泊したときに部屋の鍵が壊れていたので、部屋を交換してほしいとホテルスタッフに伝えたところ、「没事、没事(問題ない)」と言われて、「何が没事なんだ」とホテルスタッフに強めに怒ってしまいました。

確かに相手の態度もひどいですがどんな場合も冷静にそして相手を見下す様な態度を取ってはいけないのに、とひどく自己嫌悪に陥りました。ホテルスタッフもずっとムスッとしていてバスタオルを持ってきて欲しかったのですが頼みづらく、ホテルを出たあともしばらく気分が悪く、結局損をしたのは自分だったのです。

怒りをコントロールするのは人生においてとても重要です。怒りは智慧を低下させてしまいます。感情的になってしまったら必ず負けます。冷静な相手には絶対に勝てません。怒りをコントロールできないと自分の周囲から人はどんどん離れていきます。そしてストレスから発作を起こし最後は数か月も誰にも発見されず孤独○などということにもなりかねません。アンガーマネジメントという怒りをコントロールする方法によると6秒で怒りの頂点は終わるそうです。なので最近は何か怒りそうなことが発生したときは「これも修行、これも修行」とまず6回呪文のように唱えるようにしています。結構効果があるような気がしています。怒っても得することは一つもないのです。損するだけです。

降りかかる災難は選べないが、反応は選べる

「接する全ての人を大切にしなければならない」、「人との繋がりを大切にしなければならない」という事が頭ではわかっているつもりでも潜在意識レベルまで行き渡っていないので行動が変わらないのだと思います。潜在意識が変わってくれば行動も自然に変わってきます。

潜在意識レベルまで行き渡らせ、行動を変えていくには根気良く何度も潜在意識を説得し続けるしかありません。

 

まず身近な1人を大切にする

仕事をうまく進めるためには家庭環境もとても重要です。最も身近な1人の人も大事にできない人が他の全ての人を大事にすることなど到底できません。反対に身近な1人を大事にできる人は他の人も大事にできるはずです。

したくないのにどうしても夫婦喧嘩をしてしまうという人も多いかもしれません。例えば自分が仕事でとても疲れていたり、何かトラブル(妻とはまったく関係がない)がありストレスのあまり相手に八つ当たりし相手は全く何も悪くないのに冷たい口調であしらったり、相手をけなしてしまう、たまたは外の原因で自分の機嫌が悪いので、普段は気にならないような相手のちょっとしたことが気になり文句を言ってしまう、そうしてそうして喧嘩に発展するというのがほとんどの場合だと思います。ようするに相手は全く(または普段は気にならないレベル)悪くないのに、自己都合により相手を不快にさせることにより喧嘩になるのです。

降りかかってくる災難はどうしても避けることはできません。でもそれによりどのような反応をするかは自分で選べます。何か事があったときにぐっとこらえるということができると自分にも良いはずです。

 

人と喧嘩をしないコツ

例えば結婚している人であれば妻、仕事であれば同僚や上司が相手ですが、相手と喧嘩をしないためのコツがあります。それはそもそも相手というのは自分にとってどういう存在なのかを潜在意識レベルで正しく認識することです。これは夫婦関係に限らず友人、仕事仲間など全ての人間関係に共通のことだと思います。

相手というのは「自分を幸せにしてくれるため」の存在なのでしょうか。それとも「相手は幸せになって頂くため」の存在なのでしょうか。

これはどちらが論理的に正しいのかということよりもどちらの方が幸せな人生を送れるのかということです。

もし相手は「自分を幸せにしてくれるため」に存在していると考えているとどうなるでしょうか。この場合、例えば自分が疲れて帰って来たとき、相手は自分を幸せにしてくれるために存在しているのだから当然笑顔で「お疲れ様でした。今日も大変でしたね」と出迎え美味しい手料理をだしシャワーの用意をして、といろいろしてほしいと考えるはずです。でも現実は理想通りにはいかないことがほとんどです。相手はソファーに横になってお菓子を食べながらテレビを見ていてお疲れ様の一言もないかもしれません。そして自分は疲れているのにお前は寝てばかりなどと言わなくてもいいことを言ってしまって喧嘩になるのです。そんなことを繰り返しているうちに離婚、そしてその先は孤独に。。。

一方、もし「相手は幸せになって頂くため」の存在であると考えているとどうなるでしょうか。自分が疲れてはてて帰ってきたときに嫁がソファーに横になっていても、自分が一生懸命お金を稼ぐことにより一日中嫁がソファーに横になって相手は幸せになってくれている、と反対にうれしくなるはずです。そして「どうしたの体調でも悪いの?」など優しい口調で言えるはずです。そうすれば疲れているにもかかわらず自分を気遣ってくれる相手にたいして申し訳なくなって、次からは食事を用意してくれるかもしれません。少なくとも喧嘩して離婚して最後は孤独。。。などということはおこりません。

果たしてどちらが幸せでしょうか。普通の認識能力のある人ならば後者の方が幸せな人生を送れることはわかるはずです。でも実際にはできていないのです

 

「自分」、「他人」は物質の原子レベルでは存在しない

科学的になぜ「接する全ての人を大切にしなければならない」、「人との繋がりを大切にしなければならない」のかを考えてみます。

一般的に人との繋がりというと自分と他人が別々に存在しそれが繋がるということを意味するのですが、それ以前に実はそもそも仏教や禅では自分も他人も別々に存在するのではなく、コインの表裏のように実は表裏一体、同じものです。他人というのは自分の脳内に映し出された自分の鏡です。これは水が高い所から低い所へ流れるというのと同じレベルの自然法則です。

自分も他人も同じ一つのものであるのだから自分が豊かになりたければ人を大事にするのは当たり前のことで、ましてや他人を犠牲にして自分が幸せになるという事は、水が低い所から高い所へ逆流するというのと同じくらい自然の原則に反する不自然なことなのです。

この世界はビッグバンから始まりました。光エネルギーの凝縮から世界は生まれたのです。
私達1人1人全て人は元々は全て1つの光エネルギーの凝縮から生まれた全く同じものです。自分も他人も同じ1つのものです。

自分とは大きな海からくみ出されたコップ一杯の水のようなものです。もともとは皆同じ一つの海水なのです。自分が最後の時を迎えるとコップ一杯の水はまたもとの海に戻され海水全体と溶け合ってしまいます。

理系の研究者が晩年には精神世界に傾倒していくようになるのも理にかなっています。物質の原子やもっと細かい光エネルギーレベルで見ればどこにも「自分」、「他人」は存在しない、真の世界の姿を感じるようになり行動も自然に利他的になっていくのでしょう。
私がいる、他人がいるという自意識は脳が顕在意識レベルで生み出している妄想にすぎないということです。本来この世界には自分、他人という区別は存在しないのです。実際に世界をより正確に認識できる潜在意識レベルでは自分、他人も区別はありません。

この世界はVR(仮想現実)である

 

よく潜在意識は自分と他人を識別できないと言われていますが認識できないのではなく、潜在意識は顕在意識よりも世界を正しく認識していて、顕在意識のように愚かな妄想をしていないということなのです。

「自分」という思い込み

 

実は自分も他人も同じ一つの物であるということは潜在意識レベルでは皆感じて知っている事なのです。その証拠に自分も他人同じという自然原則に沿っていることは素晴らしいと直感で感じます。
例えば困っている人を助けると自分も気持ちが良くなります。逆に他人を犠牲にして自分だけというような事をすると自分の心の中に嫌悪感が生まれます。他人を犠牲にする方が気持ち良いという人もまれにいますが、そういう人は人間の不良品です。不良品はどうしても数%は発生してしまうのです。もしそういう人に遭遇してしまったら、すぐ逃げてください、関わらないことです。

人は皆潜在意識レベルでは自分も他人も同じものであるという事をすでに知っている、そしてこれは自然の原則である証拠に他ならないのです。
他人を犠牲にして不幸にすれば自分も必ず不幸になるのです。なぜなら他人も自分も実は同じ一つのものでありこれは自然の原理だからです。

潜在意識レベルでは皆わかっているはずなのに、私達の愚かな顕在意識はこの自然原則に反する事をしてしまいます。
この世界に生まれてから、メディアや広告などいろいろな情報に触れ、私達の顕在意識には汚れがびっしりついてしまっています。何十年もシャワーをしていなくて異臭を放ち、前もまともに見えなくなってまっすぐ進む事もできなくなっているのにそれすら自分では全く気がついていない、そんな感じです。

確かにまずは自分が自立し豊かでなければ他人を幸せにすることはできません。ですがこれは他人を犠牲にして自分が幸せになるということとは全く異なります。電車で我先にと座席に座って老人が苦しそうにしていても自分が楽ならいいということとは全然違うことのはずです。

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自分が豊かになりたいなら、他人を豊かにする

自分も他人も同じ一つの物である、という事が本当に潜在意識レベルまで行き渡れば行動がかわってくるはずです。私がこのような文章を書いているのも、文章を書くことによって自分自身の潜在意識に染み込ませたいからでもあります。

・自分が豊かになりたいなら、いかに相手に価値を提供してありがとうと言ってもらえるか考える。どうやって相手からお金を奪い取るかを考えるのではない

・他人を見下して冷たくすることは、自分を見下すことと同じになってしまうのでしない

・接する全ての人を大事にする、自分の物差しで勝手に相手を判断しない

よく読書をする方ならご存知と思いますがこれらは多くの書籍などでも言われていることです。すなわち自然原理に則った成功法則なのです。

私達の顕在意識は脳が生み出す自分、他人、という妄想にとらわれ、自分の利益第一主義、すなわち自然の原則に反する行動をしてしまいます。
自然の原則に反するということはすなわち破滅の道を進むということです。
坐禅などをすることによってこの愚かな顕在意識の汚れや妄想を洗い落として、魂を磨いて潜在意識レベルの直感を邪魔しないようにする、愚かな妄想をしないようにするというのが禅です。

今世界中の人が不安になっているようです。果たして自分が明日も生きていけるのかとても心配しています。不安のあまり自分を守るのが精一杯で内向きになり、自分の事しか見えなくなる、自分が座席に座れれば近くで他人が苦しそうにしていても関係ない、そんな雰囲気が世界中に広がっています。

天国の箸、地獄の箸

 

もし世界中の人々の潜在意識に「接する全ての人を大切にしなければならない」、「人との繋がりを大切にしなければならない」ということが行き渡れば素晴らしい世界になると思います。時間はかかりますが世界はそういう方向へ向かっていきます。自然法則だからです。

他人を犠牲にしても自分さえ良ければいいという、自然法則に反することをする人は自然消滅していく、「接する全ての人を大切にしなければならない」、「人との繋がりを大切にしなければならない」という自然原則に則った事をする人は生き残り豊かになっていく、どちらを選ぶかは自分次第なのです。  

 

だいぶ話がそれてしまいましたが今日も1日生きれることに感謝し、目の前の事だけに集中して一生懸命仕事をしましょう。このブログは広州買い付けのブログです。

 

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2022/4/29【今日の広州アパレル卸市場】Guangzhou clothes wholesale markets

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↑こちらは今日の十三行新中国ビルのyoutube動画です。お店の人が今年はとても注文が少ないと去年と今年の注文伝票を見せながら嘆いています。大変ですが頑張ってほしいものです。

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中国工場との取引はイライラが多い

中国の工場や卸市場との取引は本当に大変なものです。ご経験のある方はうんうんそうそう、と言っていただいていると思います。

工場がありえないような言い訳で納期遅れをする、業者がひどい品質で商品を送ってくる、でもそういう時に感情にまかせて怒りを爆発させるというのはだめです。怒りにまかせて相手を罵っても納期が早くなるわけでも品質が良くなるわけでもありません。むしろ相手の反感をかってもっと事態は悪化するでしょう。自分の感情を制御できないといつか致命的な事が起こります。

中国の店や工場と取引するときの大事なコツがあります。それは、

「中国では計画通りに事が進まないのが当たり前」

そもそもこういう心構えでいれば怒りも少なくなり抑えることができるはずです。

日本では何かするときに最初にちゃんと計画します。そしてだいたいは計画通りに事が進みます。

でも中国ではそうは行きません。思いもしなかったトラブルが発生して当初の計画通りに事が進むということはまずありません。

1週間でできると言っていたのに、やっぱり2週間かかると急に工場が言い出す、運送中のトラックが交通事故で発注していた商品の納期が遅れる、商品代金を払ったのにお店が消える、社員がお金をピンハネする、などなど中国でのトラブルはきりがありません。

私の知り合いの中国貿易経験が長い台湾人はいつも中国の不平不満や悪口を言っていました。きっと中国でいろいろなトラブルにあったのでしょう。

でもだからと言って相手を口悪く罵ったり、外部環境のせいにしたところで、何も問題は解決しないのです。問題が解決しないどころか逆恨みされてもっと悪化する可能性もあります。

 

自分の責任と考える=主導権を握る

外部環境のせいにする=主導権を手放す、

ことになります。

反対に

内部環境のせい(自分の責任と考える)=主導権を握る、

ことになります。何かトラブルがあっても人のせいにしないということです。

発注した商品が間違いだらけ、それはしっかり作業指示やフォローしていなかった自分の責任なのです。

商品の納期が遅れてエンドユーザーに迷惑をかけた、それはあらかじめ納期遅れを想定してバッファーをとっていない自分の責任なのです。

社員がお金をちょろまかした、それはちょろまかせるような経理の仕組みにしていた自分の責任なのです。

常にこう考えることで次回からは改良が可能になります。もしコントロールを手放してしまったら、なすすべがありません。

最初、中国へ来たばかりの頃私はいつもイライラしていました。ピーク時は中国人スタッフが20人くらいいましたが全員と喧嘩し、結局全員が離れてしまいました。今思えば私の至らなさ、申し訳ないことをしたと思っています。

その後、いろいろなトラブルを経験し、たどり着いた境地があります。それは

「中国では計画通りに事が進まないのが当たり前」です。

このように考えるようになってからは何より自分の心が楽になりました。そして自然と周囲との人間関係も良くなってきました。

これは実は中国ビジネスについてだけではありません。

日本での人間関係、旦那や妻、子供、上司、部下、友達にも応用できます。

「人は思い通りにならなくて当たり前」

「他人は思い通りに動かなくて通常設定」

常にこう考えるように習慣化すると、いろいろ劇的な効果があります。ぜひおすすめします。

そももそ相手はこっちのために人生を生きているのではないのだから、こっちの言う通りに動かなくて当たり前なのです。思い通りにしてくれると考える自分が間違っているのです。

自分のせいなんだから、相手に怒りをぶつけるのは違うと思えるはずです。元連合艦隊司令官の 山本五十六さんもこのように言っています。

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何があっても人に怒りやイライラを出さない

とにかく感情にまかせて怒りをぶつけると必ず損するだけです。得は一つもありません。

怒りを相手にぶつければすっぎりするかもしれません、次はその100倍の災いが返ってきます。結局大損なのです。

仕事でくたくたに疲れて家に帰ったのに、嫁(または旦那)が夕食の用意すらしてくれていない、という場合でももし「なんで用意してないんだ」と怒りを相手にぶつければ喧嘩になってもっと疲れるだけです。最悪はそのうち離別ということにもなりかねません。

社員や業者が言ったとおりに作業をしなかった、このときも「バカやロー」と怒りをぶつけたい気持ちはわかります。でもトラブルになって疲れるだけです。最悪は逆恨みされてひどい目にあうかもしれません。

それを言ったら相手はどう思うだろうか、相手の視点から考える思いやりがとても大事です。

大昔にお釈迦様は死ぬほどの苦行をしました。そして最後に「むだである」と言って苦行をやめました。どういうことかというとお釈迦様は怒りや煩悩などを無くそうと苦行をしましたが、どんなに死にそうな苦行をしても人間は怒りや煩悩がなくならないということを証明してくれたのです。

そうです。怒りや煩悩は無くならなくていいのです。怒りが心にわいてくるのは仕方がないことなのです。しかしその怒りを何もないかのように仏の顔で絶対に人に出さない、ということがとても大事なのです。

何があっても絶対に人にイライラやネガティブな言葉を出さない、という覚悟をしてから夫婦喧嘩もほとんどなくなりました。怒りは防衛本能なので湧いてくるのは仕方ないのです。でもその怒りを顔や態度や言葉に絶対に出さないと決めた時周りの人間関係はとても良くなります。

 

怒りは高血圧症を引き起こす

怒りは攻撃に対する生物の本能的な防御反応です。一気に血圧を上昇させて素早く回避行動ができるように体を臨戦態勢にします。

そのためいつも怒ってばかりいると高血圧による病気を引き起こします。とくに脳の血管や心臓そして肺など呼吸器系あたりがダメージを受けてきます。あなたの周りにもいつもイライラしてしかめっ面をしている人はいないでしょうか。そういう人は大体深刻な持病を抱えているものです。

 

その時どう反応するか

イラつくことが降りかかってくるのは防ぎようがない部分もあります。今日も明日もきっとイライラすることはきっと起こってくるでしょう。

大事なのは何かが降りかかってきた時にどう反応するかです。自分がどう反応するかはコントロールできるはずです。

道を歩いていて、上から柿が落ちてきて服が汚れてしまった、なんて運が悪いんだこんちくしょうと考えるか、

または柿で運が良かった、もし鉄球だったら即死だった、なんて運が良いんだラッキーと考えるか、

何事も受け取り方、考え方次第でどうにでもなるものです。

小話はこのくらいにして今日も1日一生懸命仕事をしましょう。今この一息一息、目の前のことだけに真剣に取り組みましょう。前置きがだいぶ長くなってしまいましたがこのブログは中国広州卸市場買い付けのブログです。

 

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思考は脳の分泌物にすぎない、真の自分ではない

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天国と地獄の箸(はし)

 

一般的に考えたり思ったりすることが「自分」だとされています。でもそういう思考は本当に自分なのでしょうか。

 

思考=偶然の寄せ集め

例えば先ほど私はタオバオ(中国最大のECモール)を見ていて偶然、小米というブランドの60インチの大型テレビが目に入ってきました。
wifiに接続もできて動画も見れる、60インチという大きさなのに価格も3000元(日本円で約4万円)でとてもお買い得です。
すごく欲しくなりました。心がとても興奮しもう少しでクリックして買ってしまいそうになりました。

果たしてこの、テレビを買いたいという心は本当の自分なのでしょうか。
ただまんまと心を煽って物を買わせる企業のゴミ情報に危うく引っ掛かりそうになっただけなのではないでしょうか。
冷静になって落ち着いて考えてみればそんなでかいテレビなんかいらないのです。
でもさっきは心が興奮し本当にもう少しで買ってしまうこところでした。

そしてヤフーニュースを見ていたら、大成功したIT社長の資産が数千億円、大きな自社ビル、立派な家、女優の恋人、そんなのが目に入ってきました。
するとまた私の心は激しく興奮し、中国で上場したい、有名人になって、大きな自社ビルや豪邸が欲しい、そんな気持ちになりました。

果たしてこの社長になって大成功したいという心は本当の自分なのでしょうか。

また、テレビを見ていてNHKスペシャルでイチロー特集を偶然見て、イチローの生き方に憧れる。

今度はyoutubeでラーメンの動画を見てラーメンが食べたくなった、
これは本当の自分でしょうか。

タオバオで大型テレビを見たのも、ヤフーニュースでIT社長のニュースを見たのも、テレビでイチローを見たのも、ラーメンを見たのもすべては偶然です。
たまたま見ただけです。何の必然性もありません。風がぴゅーっと吹いてきたと=同じです。

 

思考=真の自分ではない

こんな偶然の出来事の寄せ集めでできた、何の必然性もない、まるで風に吹かれる池の上の木の葉のような「心」というものが本当の自分と言えるでしょうか。
私の答えははっきりとノーです。こんないい加減な心なんか真の自分ではありません。

(ここでは「心」というのは脳で考えたり思ったりすることを「心」と言っています。)

ラーメンを見て、ラーメンの光が自分の目の網膜に映り、電気信号に変換され、脳でフィルターにかけられ、食べたいという思いがアウトプットされたのです。

お金持ちのIT社長をテレビで見て、自分も成功したいという思いが脳からアウトプットされただけです。イチローを見て、プロフェッショナルな生き方に憧れるという思いが脳から分泌されただけです。

世の中の多くの人はこういう「心」を本当の自分だと思っています。そういう自分の思いや欲求を実現するためにこの社会で一生懸命頑張る、それが自分の生きがいであり人生であると思っています。

でも本当は何の必然性もない偶然のゴミ情報の寄せ集めの反応として、脳から「心」という分泌物が分泌されただけです。
「心」というのは脳からの分泌物にすぎないということです。

脳からでたらめに分泌される「心」というのは、まるで風に吹かれてゆらゆらと揺れる木の葉のようです。こういう状態は「無明」と言われています。

脳のパワーは強力でとても優秀なので、私にまるで本当の現実のように思わさせて私を家来にしようとしてきます。うっかりすると脳が主人になり自分が家来になってしまいます。脳は体の一器官にすぎず、自分が主人なのです。

 

心はただの脳の分泌物

脳から分泌される「心」は決して本当の自分ではありません。世界を正しく認識していない脳の妄想にとらわれて、もしこのような不安定なものを本当の自分と考えて、それに基づいて行動していると、ゆらゆらと自分が激しく揺さぶられてとても苦しくなってしまいます。これが悩みや苦しみの根本原因になっているのです。

このような心(思いや考え)によって、例えば起業して上場して大成功して大金持ちになりたいという野心をもち、欲求や野心を実現することこそが自分の人生の目的である、そういうふうに誤った世界認識をする(そんなのは本当は偶然の風に吹かれた池の上の木の葉に過ぎないのです)、それを「自我執着」と言います。

この「自我執着」が人生の悩みや苦しみをとめどなく生じさせる根本的な原因なのです。このような悩みや苦しみを軽減する方法があります。すでに約2500年前に考えられた方法です。

脳からでたらめに分泌される「心」なんて、真の自分ではない

そういう正しい認識をすることで悩みや苦しみはだいぶ軽減されます。そうするといろいろな悩みや苦しみがふっと楽になるのを感じると思います。自分の「心」をもう一つ上の視点から観察するということです。これは「内観」と言われています。

自分の心を観察しているもう一つ上の視点の自分、それこそが真の自分と言えそうです。

なんだか怪しい〇〇教みたいですが宗教でもなんでもなく、

「自分の心をもう一つ上の視点から客観的に観察すると、すごく楽になるよ!」

ただそれだけのとてもシンプルな脳に操られてしまわないためのテクニックです。

例えばとても怖い夢を見ているとします。何か怪物に追いかけられている夢です。目が覚めてからこれは夢だったのかと思うのですが、実際に夢を見ている最中は本当の恐怖を感じています。でも怪物に追いかけられている時に、これは夢なんだと自覚すればその恐怖はほとんどなくなってしまいます。

これは宗教でもなんでもなく、テクニックなので何度も何度も練習すればどんどん上手にできるようになります。

そしてただの体の一器官である脳からの分泌物で、人生の行動を決めるのではなく、もっと真の自分に基づいて人生の行動を決定しなくてなりません。

要するに

心は自分ではない、そういう「自我執着」が悩みや苦しみを生む。

「心」をもう一つ上の視点から客観的に観察してみる。

脳であれこれ考えるのをやめてただ感じるようにします。これがいわゆる座禅や瞑想です。

考えない練習法

とてもよい誰でも簡単にできる練習法があります。

朝起床したら真っ白なノートを開きます。そしてコーヒーでも飲みながらゆったりとリラックスします。そうするといろいろな思いが湧いてきます。それをひたすらノートに書き留めます。後で見返すわけではないのでただひたすら湧いてきたことをさらさらと書いていけばいいのです。なにも湧いてこなければ何も書かなくていいのです。これは自分の「心」を客観的に観察する練習になります。

私も何度かやっているうちにとてもすっきりするので、コーヒーを飲みながら真っ白なノートを開き書き留めるのが今では毎朝の習慣になっています。とてもおすすめです。

負け組になりたくない、とエゴむき出しで努力してお金を稼がなくてはいけないと思い込んで、悩みや苦しみに苛まれていないでしょうか。あの手この手を使って人の心や欲を煽って、相手に物を買わせる、それがあなたの本当の人生の目的でしょうか。

一生懸命頑張るのは素晴らしいことですが、真の自分が導く正しい方向へ向かって頑張っているのかどうか、ただ苦しみを生むだけの自我執着ではないのか、もう一度客観的にチェックしてみた方がよいかもしれません。

 

では真の自分はどこにあるのか

でも真の自分は脳にはない、とするといったい真の自分はどこにあるのでしょうか。一般的には高次元にあってこの世と行き来しているとも言われていますが、私はそうではなくてそもそも自分なんてどこにもない、これもやはり脳による錯覚なのだろうと思います。錯覚というか脳が私たちの身体をいろいろ危険から守ってくれるセンサー機能のようなものなのでしょう。

しかし自分がないとすると寿命がきたら自分は完全に消えてしまうことになります。なんだか悲しい感じもします。いえ、もともと自分なんてないのだから悲しむ必要もないのですが、やはりそれでは一体何のために私たちはこんなに大変な思いをして現世を生きているのか、やりきれない感じがします。だから人間はむりやり高次元とか魂とか永遠不滅の実体とかを考えだしたのかもしれません。

「自分」という言葉の意味はなんなのでしょう。広辞苑にはおのれ、われ。とあります。「われ」を調べてみると、自我の根底にある実体的霊魂的存在。アートマン。一般的に事物の根底にある永遠不変の実体。とあります。自分というのは永遠不変の実体なのでしょうか。寿命がきたら自分が消えてしまうなんてやりきれないので、永遠不変と思いたい人間が勝手にそう言っているだけのような気もします。実際にはやはり寿命がきたら自分なんて消えてしまう、というかもともとない、あるのは今この瞬間だけなのでしょう。

要するに一番最初の問題にもどると、思考は脳の分泌物にすぎない、真の自分ではない、というよりもともと真の自分なんてどこにない。ということのようです。確かに、自分なんてないと言われた方がしっくりくる感じがします。現代の社会が自分というものをやたらに強調し過ぎなんだろうと思います。

 

他人を自分と同じように大事にする

やはりそもそも自分なんて存在しないのです。本当は存在しない自分に執着して、自分さえよければ他人はどうなってもいいという行動は本当に愚かなことだと言えます。完全に脳に操られてしまっている状態といえます。もともと自分と他人の境界などないのですから、家族や友人、同僚、取引先などいつも接してくれている周りの人達を自分と同じように大事にするのは当たり前のことなのです。同じ業界のライバル業者と競争して自分だけ生き残ろうとするのではなく、みんなで生き残るように相手にも利益を分けてあげましょう。

それにしても私達人間が生きる意味とか、そして生物って一体なんなのでしょうか。謎は深まるばかりです。いや、この謎も脳が勝手に分泌しているだけで、そもそもなんでも原因と結果で考えようとしてしまうのが人間の悪い癖ですね。あるものはあるんだ、それでいいのでしょう。山の草木や虫はそんなこと考えない。たしかどこかの偉いお坊さんもそう言っていた気がします。

傳田塾

 

空想にふけるのはこのくらいにして今日も1日一生懸命仕事をしましょう。前置きがだいぶ長くなってしまいましたがこのブログは広州買い付けのブログです。

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