一般的に考えたり思ったりすることが「自分」だとされています。でもそういう思考は本当に自分なのでしょうか。
思考=偶然の寄せ集め
例えば先ほど私はタオバオ(中国最大のECモール)を見ていて偶然、小米というブランドの60インチの大型テレビが目に入ってきました。
wifiに接続もできて動画も見れる、60インチという大きさなのに価格も3000元(日本円で約4万円)でとてもお買い得です。
すごく欲しくなりました。心がとても興奮しもう少しでクリックして買ってしまいそうになりました。
果たしてこの、テレビを買いたいという心は本当の自分なのでしょうか。
ただまんまと心を煽って物を買わせる企業のゴミ情報に危うく引っ掛かりそうになっただけなのではないでしょうか。
冷静になって落ち着いて考えてみればそんなでかいテレビなんかいらないのです。
でもさっきは心が興奮し本当にもう少しで買ってしまうこところでした。
そしてヤフーニュースを見ていたら、大成功したIT社長の資産が数千億円、大きな自社ビル、立派な家、女優の恋人、そんなのが目に入ってきました。
するとまた私の心は激しく興奮し、中国で上場したい、有名人になって、大きな自社ビルや豪邸が欲しい、そんな気持ちになりました。
果たしてこの社長になって大成功したいという心は本当の自分なのでしょうか。
また、テレビを見ていてNHKスペシャルでイチロー特集を偶然見て、イチローの生き方に憧れる。
今度はyoutubeでラーメンの動画を見てラーメンが食べたくなった、
これは本当の自分でしょうか。
タオバオで大型テレビを見たのも、ヤフーニュースでIT社長のニュースを見たのも、テレビでイチローを見たのも、ラーメンを見たのもすべては偶然です。
たまたま見ただけです。何の必然性もありません。風がぴゅーっと吹いてきたと=同じです。
思考=真の自分ではない
こんな偶然の出来事の寄せ集めでできた、何の必然性もない、まるで風に吹かれる池の上の木の葉のような「心」というものが本当の自分と言えるでしょうか。
私の答えははっきりとノーです。こんないい加減な心なんか真の自分ではありません。
(ここでは「心」というのは脳で考えたり思ったりすることを「心」と言っています。)
ラーメンを見て、ラーメンの光が自分の目の網膜に映り、電気信号に変換され、脳でフィルターにかけられ、食べたいという思いがアウトプットされたのです。
お金持ちのIT社長をテレビで見て、自分も成功したいという思いが脳からアウトプットされただけです。イチローを見て、プロフェッショナルな生き方に憧れるという思いが脳から分泌されただけです。
世の中の多くの人はこういう「心」を本当の自分だと思っています。そういう自分の思いや欲求を実現するためにこの社会で一生懸命頑張る、それが自分の生きがいであり人生であると思っています。
でも本当は何の必然性もない偶然のゴミ情報の寄せ集めの反応として、脳から「心」という分泌物が分泌されただけです。
「心」というのは脳からの分泌物にすぎないということです。
脳からでたらめに分泌される「心」というのは、まるで風に吹かれてゆらゆらと揺れる木の葉のようです。こういう状態は「無明」と言われています。
脳のパワーは強力でとても優秀なので、私にまるで本当の現実のように思わさせて私を家来にしようとしてきます。うっかりすると脳が主人になり自分が家来になってしまいます。脳は体の一器官にすぎず、自分が主人なのです。
心はただの脳の分泌物
脳から分泌される「心」は決して本当の自分ではありません。世界を正しく認識していない脳の妄想にとらわれて、もしこのような不安定なものを本当の自分と考えて、それに基づいて行動していると、ゆらゆらと自分が激しく揺さぶられてとても苦しくなってしまいます。これが悩みや苦しみの根本原因になっているのです。
このような心(思いや考え)によって、例えば起業して上場して大成功して大金持ちになりたいという野心をもち、欲求や野心を実現することこそが自分の人生の目的である、そういうふうに誤った世界認識をする(そんなのは本当は偶然の風に吹かれた池の上の木の葉に過ぎないのです)、それを「自我執着」と言います。
この「自我執着」が人生の悩みや苦しみをとめどなく生じさせる根本的な原因なのです。このような悩みや苦しみを軽減する方法があります。すでに約2500年前に考えられた方法です。
脳からでたらめに分泌される「心」なんて、真の自分ではない
そういう正しい認識をすることで悩みや苦しみはだいぶ軽減されます。そうするといろいろな悩みや苦しみがふっと楽になるのを感じると思います。自分の「心」をもう一つ上の視点から観察するということです。これは「内観」と言われています。
自分の心を観察しているもう一つ上の視点の自分、それこそが真の自分と言えそうです。
なんだか怪しい〇〇教みたいですが宗教でもなんでもなく、
「自分の心をもう一つ上の視点から客観的に観察すると、すごく楽になるよ!」
ただそれだけのとてもシンプルな脳に操られてしまわないためのテクニックです。
例えばとても怖い夢を見ているとします。何か怪物に追いかけられている夢です。目が覚めてからこれは夢だったのかと思うのですが、実際に夢を見ている最中は本当の恐怖を感じています。でも怪物に追いかけられている時に、これは夢なんだと自覚すればその恐怖はほとんどなくなってしまいます。
これは宗教でもなんでもなく、テクニックなので何度も何度も練習すればどんどん上手にできるようになります。
そしてただの体の一器官である脳からの分泌物で、人生の行動を決めるのではなく、もっと真の自分に基づいて人生の行動を決定しなくてなりません。
要するに
心は自分ではない、そういう「自我執着」が悩みや苦しみを生む。
「心」をもう一つ上の視点から客観的に観察してみる。
脳であれこれ考えるのをやめてただ感じるようにします。これがいわゆる座禅や瞑想です。
考えない練習法
とてもよい誰でも簡単にできる練習法があります。
朝起床したら真っ白なノートを開きます。そしてコーヒーでも飲みながらゆったりとリラックスします。そうするといろいろな思いが湧いてきます。それをひたすらノートに書き留めます。後で見返すわけではないのでただひたすら湧いてきたことをさらさらと書いていけばいいのです。なにも湧いてこなければ何も書かなくていいのです。これは自分の「心」を客観的に観察する練習になります。
私も何度かやっているうちにとてもすっきりするので、コーヒーを飲みながら真っ白なノートを開き書き留めるのが今では毎朝の習慣になっています。とてもおすすめです。
負け組になりたくない、とエゴむき出しで努力してお金を稼がなくてはいけないと思い込んで、悩みや苦しみに苛まれていないでしょうか。あの手この手を使って人の心や欲を煽って、相手に物を買わせる、それがあなたの本当の人生の目的でしょうか。
一生懸命頑張るのは素晴らしいことですが、真の自分が導く正しい方向へ向かって頑張っているのかどうか、ただ苦しみを生むだけの自我執着ではないのか、もう一度客観的にチェックしてみた方がよいかもしれません。
では真の自分はどこにあるのか
でも真の自分は脳にはない、とするといったい真の自分はどこにあるのでしょうか。一般的には高次元にあってこの世と行き来しているとも言われていますが、私はそうではなくてそもそも自分なんてどこにもない、これもやはり脳による錯覚なのだろうと思います。錯覚というか脳が私たちの身体をいろいろ危険から守ってくれるセンサー機能のようなものなのでしょう。
しかし自分がないとすると寿命がきたら自分は完全に消えてしまうことになります。なんだか悲しい感じもします。いえ、もともと自分なんてないのだから悲しむ必要もないのですが、やはりそれでは一体何のために私たちはこんなに大変な思いをして現世を生きているのか、やりきれない感じがします。だから人間はむりやり高次元とか魂とか永遠不滅の実体とかを考えだしたのかもしれません。
「自分」という言葉の意味はなんなのでしょう。広辞苑にはおのれ、われ。とあります。「われ」を調べてみると、自我の根底にある実体的霊魂的存在。アートマン。一般的に事物の根底にある永遠不変の実体。とあります。自分というのは永遠不変の実体なのでしょうか。寿命がきたら自分が消えてしまうなんてやりきれないので、永遠不変と思いたい人間が勝手にそう言っているだけのような気もします。実際にはやはり寿命がきたら自分なんて消えてしまう、というかもともとない、あるのは今この瞬間だけなのでしょう。
要するに一番最初の問題にもどると、思考は脳の分泌物にすぎない、真の自分ではない、というよりもともと真の自分なんてどこにない。ということのようです。確かに、自分なんてないと言われた方がしっくりくる感じがします。現代の社会が自分というものをやたらに強調し過ぎなんだろうと思います。
他人を自分と同じように大事にする
やはりそもそも自分なんて存在しないのです。本当は存在しない自分に執着して、自分さえよければ他人はどうなってもいいという行動は本当に愚かなことだと言えます。完全に脳に操られてしまっている状態といえます。もともと自分と他人の境界などないのですから、家族や友人、同僚、取引先などいつも接してくれている周りの人達を自分と同じように大事にするのは当たり前のことなのです。同じ業界のライバル業者と競争して自分だけ生き残ろうとするのではなく、みんなで生き残るように相手にも利益を分けてあげましょう。
それにしても私達人間が生きる意味とか、そして生物って一体なんなのでしょうか。謎は深まるばかりです。いや、この謎も脳が勝手に分泌しているだけで、そもそもなんでも原因と結果で考えようとしてしまうのが人間の悪い癖ですね。あるものはあるんだ、それでいいのでしょう。山の草木や虫はそんなこと考えない。たしかどこかの偉いお坊さんもそう言っていた気がします。
傳田塾
空想にふけるのはこのくらいにして今日も1日一生懸命仕事をしましょう。前置きがだいぶ長くなってしまいましたがこのブログは広州買い付けのブログです。
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ありがとうございます。灯が見えてきました。
かなり曇っているので確かな光にするため何度も読みます。
「積極的心的態度」を検索して辿り着きました。