2023年7月、知人が中国(広州市の隣の東莞市)でオーバーステイになってしまい、いろいろ手助けをした時の状況をヒアリングしたので中国で不法滞在になるとどうなるか詳しく書きます。もしオーバーステイしてしまって悩んでいる方は1日も早く解決した方がずっともやもやしながら中国生活を送るよりいいです。ご相談もお受けしますのでご連絡ください。
まず結論から言うと1~3年以上の長期のオーバーステイの場合は、取り調べのため拘留所に24時間入れられます。その後罰金1万元を支払います。そして短期ビザを取得する手続きをします。初回オーバーステイの場合であれば再入国禁止などのペナルティはありません。そのまま出国せずビザの再延長もできるのでいったん出国しまなくてもまたそのまま中国に滞在できます。オーバーステイ2回目とかになると再入国禁止などの重いペナルティになってしまうので2回以上はしないようによく注意してください。
また数日とか1,2週間など一か月以下の短いオーバーステイの場合でも収容所に入れられたりするんじゃないかとか心配になってしまうと思いますが、それくらいの短いオーバーステイであればほぼノープロブレムです。今すぐ自分から出頭して手続きをした方がいいです。自分から出頭した方が処分は軽くなります。初回でかつ短期であれば拘留所に入れられることも罰金もなく早く出国しなさいという注意程度で済む可能性が高いです。
なぜオーバーステイしたのかの理由はかなり詳しく聞かれます。理由やその間何をしていたのかはちゃんと説明できるようにしておいてください。
なにより一番大変なのは待ち時間です。一応鉄格子の拘留所に24時間入れられるのですがそれはあっという間です。それよりも拘留所を出た後の各手続きですごく待たされます。一つの手続きを進めるごとにだいたい5時間待ちは当たり前です。その間ずっと待ち続けなければならないのでこの待ち時間が一番つらいです。
とにかく中国でオーバーステイはしない方がいいです。公安の人もほとんどの人は紳士的で怒鳴られたりすることもなく怖い思いをすることはないです。ただ非常に面倒なのでしないにこしたことはありません。あとは日本語ができる人は公安にはほぼいないので中国語がある程度できないとかなり大変です。もし中国語ができないなら通訳を連れて行った方がいいです。
以下は時系列での詳しい経過状況です。オーバーステイ以外の事案でも大体以下のような流れになると思います。
7月19日、
オーバーステイでずっと悩んでいたが、明日派出所へ行く決心をした。2020年3月1日に広州白雲空港から中国に入国し、今は2023年7月なのでオーバーステイ期間は3年以上になる。かなり大変な状況だ。
また自分から出頭した場合と捕まった場合では処分も違ってくる。もちろん自分から出頭した方が処分は軽くなる。
7月20日、
午後2時半、常平站前派出所へ行った。中国では何かあったらまずは自分の家の最寄りの派出所へ行きます。受付カウンターで日本人でオーバーステイだがどうしたらいいかと伝えた。椅子に座って2,3時間は待たされた。
その後、奥の少し広い调解室(事情を聴く部屋)へ行くように言われ、そこでまた2,3時間待たされた。そこではどこかほかの会社の社長と社員が怪我させたとかでで喧嘩していた。そういう人達の事情をいろいろ聞いたりするのがこの部屋のようだ。
しばらく待っていると小さな取調室へ連れていかれ状況を詳しく筆録(取り調べ調書)を作成した。作った筆録を上層部へ送り判断を待つそうだ。
また数時間待たされた後、壁で囲まれた中庭へ連れてこられた。ゴープロみたいな小さいカメラで動画を取られて名前を言うように言われた。ここで少しやばい予感がした。その後鉄の扉のさらに奥の拘留所へ連れていかれた。何の事前の告知もなくいきなりなのでとてもびっくりした。
拘留所はコンクリートで四角い古い一階建ての建物で入り口は鉄格子が付いた鉄扉になっていた。まずは靴をぬいで下駄箱にいれろと言われ裸足になった。そのまま鉄扉を開けて中へ入れられた。看守がいてスマホなど所持品を全部小袋へ入れろと言われた。電話をしたいと言ったのだが「うるさい!つべこべ言わずさっさと奥へ行け」と怒鳴られた。
廊下の一番奥にある鉄格子のついた小部屋へ連れていかれた。そこにはほかにも取り調べ中と思われる人達15人が20畳くらいの狭い部屋に一緒に押し込まれていた。まさかと思ったがその鉄格子を開けられ、ここへ入れと言われ押し込まれた。ここに入るのかとショックだった。皆床に直接座っている、椅子はない。鉄格子を開けて中に入ると皆じろじろ見てきて視線が痛かったが無視していた。部屋の広さに比べて人が多いので床の座るスペースもようやく1人分でとても狭かった。ちょうど空いていたほこりや髪の毛だらけの汚れた床に直接座った。すると隣の人が、中国語で「お前は何をしたんだ」と聞いてきた。自分は今はおしゃべりしたくないと言い返した。日本人だとばれないようにしたかった。ばれたら殴られるかもとかいろいろ考えた。
そこにいる15人は若者が多く意外とみんな慣れて気楽そうな感じだった。たぶん彼らは常連なのだろう。この時点で「これも一つの経験だ、よく観察してみよう」そういう気持ちになった。
ある若くて細い男は一人でずっとへらへら笑いながらいろいろおしゃべりしていた。次々と他の人にお前はなんでここへ来たんだと聞いていた。ある人は賭博で捕まったらしい。もう一人は電子詐欺?らしい。そうこうしているうちにすぐにまた新しい人が鉄格子を開けて入ってきて床に座った。するとおしゃべり男がそっさく「お前はなんでここに来たんだ」と質問した。男が言うにはホテルでxxしていて捕まったらしい。
その後鉄格子が開けられまた新しい男たちが入ってきた。部屋はどんどん狭くなる。彼らは喧嘩で捕まったらしい。
そのうち日本人来いと呼ばれた。隣の記録室で、写真撮影、指紋採取、網膜撮影、血液採取、
何か文を読み上げさせられた、その後また拘留所へ戻された。
しばらくするとまた日本人来いと呼ばれた、鉄格子の中に拘束椅子がありそこへ座るように言われた。
鉄格子の向こうに取調官と通訳が来て、
なぜオーバーステイしたかなど詳しく聞かれた。
取り調べが終わるとまた拘留所へ戻された。
深夜12時くらいまでずっとそこにいた。
クーラーもなく酸素不足でやばかった。臭かった。瞑想してなんとか落ち着いた。
深夜も拘留所では新入りがひっきりなしに入ってきた。賭博、喧嘩、買春、詐欺、など。
深夜1時頃、日本人来いと呼ばれた、
クーラーの無い拘留所からクーラーがある待合室へ移動させてくれたようだ。自分1人だけだった。そこで一晩明かす。
待合室では次から次へと報警の人が入ってきた。喧嘩など。
深夜2時、そろそろ出してもらえるかと思ったが、まだだめで結構疲れた。
7月21日、
午前5時、これはお昼以降までだめだろうとあきらめた。
午前10時頃、ずっと待合室で座っていてかなり眠かった。
午後2時、ちょうど拘留から24時間で莫警官に外へ出てもいいと言われた。午後7時に書類を受け取りに来るように言われた
午後7時に派出所へ行ったが、待たされた。
その間携帯を返せと怒鳴るおばさんなど。
挙句書類を受け取れず帰宅しろと言われた。
午後11時、就寝
7月22日、
疲れと安心感で今までずっと不眠だったのが嘘のようにぐっすり寝れた。
今日は担当の莫警官は休みなので明日来るようにとのこと。
やっと終わりそうで嬉しかった。
7月23日、
午前10時、派出所へ行った。罰金の書類を見せられQRコードで罰金を払うように言われたがケータイは限度額でできなかった。もたもたしていたら怪しまれてそのうち自分のケータイは採取された。
すぐ終われると思っていたのにこの時の絶望感はかなりだった。
銀行ATMへ行ったが送金できず、明日銀行窓口へ行くことに。日曜日なのでいったん帰宅。
7月24日、
午前9時、中国銀行へ行って限度額を2万元にしてもらった。その後QRコードでで罰金1万を支払った。自宅で領収書をプリントアウト。その後派出所へ行った。印刷した支払い票を渡して帰宅。
明日か明後日にはパスポートとケータイを返してくれる、電話するとのこと。
7月26日、
パスポートとケータイを返してくれると言っていた日になったが、一行に連絡がない。
7月28日、
パスポートとケータイはまだかと担当の警官に電話をしたら、取りに来るように言われた。ケータイもいろいろチェックされたようで何か言われるのではないかとドキドキしながら派出所へ向かった。また待合室で数時間待たされた後、午後3時頃担当の警官がきてパスポートとスマホを返してくれた。「早く続きの手続きをするように!」と言われた。本当に長かった、かれこれ一週間以上かかったことになる。
とりあえず何も言われず無事にパスポートとスマホを受け取り帰宅した。この時は本当に嬉しかった。
そしてこの後の手続き方法について東城の考案に電話をして聞いた。出国するためのビザ手続きが必要とのこと。用意する書類は次の通り。
パスポート、外国人签证证件申请表、写真、境外人员临时住宿登记表
明日明後日は土日で役所は休みなので月曜日に手続きを再開することに。本当に疲れた、土日はゆっくり休むことにした。
7月31日、
午前中に最寄りの派出所で境外人员临时住宿登记表をもらって、午後に東城へ。