他人と接する時、私はいつも心の中で念じるようにしていることがあります。
それは「他人は鏡」です。
中国で中国法人を設立したばかりの頃、当初働いてもらっていた中国人社員約20人全員と次々と喧嘩別れをするという苦しい経験(相手の社員達も苦しかったでしょう。申し訳ない。。。)をしてから、「他人は鏡」なんだと気が付くようになりました。
目の前にいる相手の人は鏡だから自分が不機嫌な表情で冷たい態度をとれば、相手も不機嫌な表情で冷たい態度をするようになるし、反対にこちらが笑顔で思いやりのある態度で接すれば相手も笑顔で思いやりを返してくれる、
それ以降、私はいつもこのように心がけて「他人は鏡、他人は鏡」と念じながら相手の人と接するようにしています。
基本的に私は人と接するのが非常に苦手です。人間が嫌いなわけではありません。人間は好きです。ですが人と接するのがとても怖くて、それゆえとても面倒なのです。
特に初対面の人と話をしなければならないとなると呼吸が苦しくなる、会食でもしようものなら会話に気を使うので食べ物の味はほとんどわからない、そのくらい苦手なのです。
でも生きていく以上、人と接しないわけにはいきませんし、仕事では人間関係が全てですから仕方ありません。
きっと気を使いすぎてしまうので、苦手意識が生じるのだと思います。こちらが緊張すれば相手も緊張してしまうから、もう少し自然体で気軽に人と接すればいいと頭ではわかっているのですがなかなかうまくできないものです。
だからこそいつも人と接するときは、相手を尊重することを忘れないように、そして緊張しすぎないためにも、心の中で「人は鏡、人は鏡」と念じる用にしています。
もしあなたが、自分さえよければいい、思いやりがない、相手を尊重しない、相手に感謝しない、相手を見下す、そういう態度でいるとどうなるでしょうか。
「人は鏡」です。全て自分に返ってきます。
思いやりがなく、自分だけ、相手を尊重しない、相手を見下す、そういう人に囲まれて生きる人生になるでしょう。私は考えただけでもぞっとします。まるで地獄のようです。それも全てはあなた態度のせいなのです。
反対にあなたが、相手を思いやる、相手を尊重する、相手に感謝する、相手を見下さない、誠実、そういう態度でいると、それも全て自分に返ってきます。
思いやりがあり、相手を尊重し、感謝する、誠実、そういう人に囲まれて生きることができればそれは素晴らしいことではないでしょうか。
地獄のような世界で生きるか、天国のような素晴らしい世界で生きるか、全ては自分の態度次第なのです。
天国の箸(はし)、地獄の箸
これは相手を自分の思い通りにコントロールしようとかそういう複雑なテクニックのことを言っているのではありません。そもそも他人というのは思い通りにはなりません。人間は他人というものをありのままでは認識できず必ず自分の脳のフィルターという妄想で認識しますから、正しくコントロールもできないのです。
他人は思い通りにならなくて当たり前
人間は目から入った光を脳内で変換して処理しています。外界の全てを自分の脳のフィルターを通して見ています。他人というものも同じで、自分の脳のフィルターを通してしか見ることはできません。
すなわち他人というのは自分の脳内にしかない、自分の脳内で形成される神経ネットワークであり、さらに言えば自分という自我も脳が生み出す妄想であり、本当は自分と他人の区別というものは存在せず、自分と他人というのはコインの裏表のような実は一つのものなのです。
「自分」という思い込み
ようするに脳が生み出す自我とか他人という妄想に惑わされて地獄のような世界(自分さえよければいい、思いやりがない、相手を尊重しない、相手に感謝しない、相手を見下す)を自分の脳内に構築するか、
それとも自分の脳の中に天国のような素晴らしい世界(相手を思いやる、相手を尊重する、相手に感謝する、相手を見下さない、誠実)を構築するか、それは全て自分の態度次第ですよというとてもシンプルなことなのです。
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